かぐわしきは 君の…
  〜香りと温みと、低められた声と。

    4 (清かな宵に)



 前へと踏み出すことへの衒いのなさは、
 英断や勇気云々という以前に
 疚しさが一切ないからこそといえ。
 ならば、
 つい立ち止まるくせのある臆病な私は、
 後ろめたさを常に自覚しているということか……



 『ブッダっていい匂いがする。』

言ってそのまま、くんすんと鼻先を押し付けてくるイエスの率直さと、
ぐんと擦り寄って来た その身の温かさや実感へ、
どうしてだろうか、唐突に顔が熱くなったブッダであり。

 “う〜ん…。”

いい匂いというなら、イエスからだって。
強い主張はないけれど、だからこそ気を惹く、
それはそれは品のいい バラの匂いがするのにと。
気がついての追うようになるほど意識をし、
そうと確信もしてからは、いつか言ってやろうと思いつつ。
とはいえ、常にまとってる彼じゃないらしいとあって、
そのせいか、話を持ち出していいだろうタイミングには、
思い出せないままになってもいたブッダであり。

 「あー、美味しかったなぁvv」

丁寧に仕上げられた夕食をそれは気持ちよく平らげたイエスの、
何とも感慨深げなお声へ、

 「ハムは久し振りだったものね。」

相変わらず、子供みたいだよねと微笑ましく思いつつ、
目元をたわめてブッダも微笑う。
それで当たり前という生活圏育ちのイエスなのだ、
たまにはメインに重いのが来ないと物足りなかろうということで、
頂きものがあったりすれば、
今宵のようにお任せにはなるものの、食べてもらうようにしてもいるのだが、

 「んー、ハムも美味しかったけど。
  ナスの田楽も炊き込みご飯も美味しかったよ?」

あんな丸々と大きいナスもあるんだねと、嬉しそうに笑って言うので、
ブッダとしては あれれ//////と何だか面映ゆい。
自分の工夫や思いつきを褒められたようで、
だがだが、そんな恣意を覗かせてはいかんいかんと
こっそりかぶりを振るのも相変わらず。
食器は二人分なのであっと言う間に片付いてしまい、
そうそう、今日は花火職人さんの特集番組があるよと、
テレビの前へ戻ると揃って画面へ見入る。
いかにも夏を先取りという特集番組で、
今時の工夫が色々とある中、
それでもこつこつとした手作業と根気のいるあれこれが紹介され、
ところどころで挿入される、夜空に開く大輪の花火の美しさに、
ますますのこと惚れ惚れとしてしまう構成で。
綺麗だねぇ。
あ・そうなんだ、工場仕事じゃないんだ。
暑い中で大変だぁ…と、素直に感嘆し合って見ていたけれど。
一通りが終って、提供は…と画面が素っ気ないものへ変わった頃合いに、

 「あ、そうだ。」

ふと、思い出したようにイエスが卓袱台から立ってゆき、
部屋の隅へと置かれた普段使いのバッグを取り上げる。
中から引っ張り出されたのは薄い包みで、
昼にDVDを返しに出掛けた折、何か買い物をして来たらしく。
だがだが、

 「はい、これ。」
 「え?」

戻って来た卓袱台わきに腰を下ろしつつ、そのまま ほらと差し出され、
そうとされた側のブッダがキョトンとしたのも無理はない。
お買い物を頼んだ覚えはないからだ。
見覚えのない包装紙は、どうやらお手製風の紙袋のようで。
そのままのと反転されたのとをパッチワークのように組み合わせた、
英字新聞をコラージュした小じゃれた包装紙には店の名前もなかったけれど。
緩くたわむところから察するに、少し大判のグラフ誌か何かのようであり。

 「? …あっ。」

何も言ってくれないイエスなのへ、何なに何だろと小首を傾げ、
ふふと微笑っているばかりの彼の前で、包みを開いて中身を引っ張り出せば、
出て来たのは、カラーページが多いムック誌で、しかも、

 「これ、私が探してた…?」
 「でしょう?」

いつも切り抜き持って、平台とか じいって眺め回してた。
でも 駅前の本屋さんは、
話題の新刊とかは置くけれど趣味の本はなかなか並ばないし、

 「お取り寄せするほどでもないかって思ってたんでしょ?」
 「うん…。」

というか、古新聞を整理していて見つけた広告だったので、
出版されて半年以上、日も経ってたし、
こういうのはあんまり増刷されないっていうから、
取り寄せを頼んでも無理かもって思ってたんだよと。
視線は表紙から離れぬままに紡ぐブッダで。

 「嬉しいな、でもどこで見つけたんだい?」

ちょっとレトロなテキスタイルの特集号。
アジアンテイストの壁紙やら布やらのプリント柄をあれこれと紹介しており、
図案の発祥の土地への取材も満載。
アジアのあちこち、エキゾチックな町並みや長閑な里が紹介されてもいて。
東南アジアの更紗や中東の衣装のヒジュラまでと、
華やかで美しい写真も多数集められているのが、
服飾だのインテリアだのには特に関心もなかったブッダなのに、
何とはなく気を惹かれたらしく。

 「うん、それがね。
  レンタルショップのすぐ近くの、雑貨屋さんにあったんだ。」

扱っている雑貨を紹介してるからとか、
インテリアとして応用する参考にいかがって格好で、
こういう傾向の雑誌や本も商品と一緒に並べてるってお店でね。

 「ブッダがいつも探してたから、
  私もタイトルや表紙は覚えちゃってたけど。
  それでも結構逡巡したよ?」

え?え? これってあれだよね?
タイトルも同じだし、◇◇号ってナンバリングも合ってるし。
でもどうしよう、間違えてたら無駄遣いしてって怒られないかなぁって、
初めてのお使いに出された小さい子みたいに、
どうしようっておろおろしちゃったと、おどけたように言いつつも
目元を細めて くすすと微笑う様子は楽しげで。

 「…ありがとう。」

ずっと探してた念願のものという嬉しさと、
ひょいって渡されたざっかけのなさとの落差が大きすぎて。
覚えていてくれたんだという意外さもまた小さくはない驚きだったから、
そんな色々が襲い来てのこと、
何だか ただ嬉しいという以上にドキドキしてしまう。
見てみてと目線で促されてページをめくれば、
鮮やかな生地の数々や、染色工房の作業風景が写真も多用して紹介されていて。
幾何学的なもの、手描きの筆記体の文章のような波々が連なる優美なもの、
蛇行して重なり合う線や、切り刻まれた色紙を散らしたようなものと、
そりゃあ色々な意匠の、布地や壁紙、建物への装飾模様などが続く。
特長のある図柄や意匠へは、それらが生まれた土地への取材もあり、
インドやその近辺の土地のものも多く、
乾いた土の土地のみならず、緑の野原や川べりの雑踏と市場の写真が並ぶ。
読みたいと待ってた念願が叶ったことも嬉しいが、

 “…見てたんだ。//////”

何を探しているものかと、直接訊かれたことはないのにね。
毎月、色んな方向のジャンルで何らかの特集号が出ている雑誌だから、
1号でも間違えれば全然違う内容のものを手にしてしまうのに。
きっちりと間違いなく探し当てられたのは、
それだけちゃんと把握していたからに他ならず。
今だって、自分のお手柄を喜んでいるというよりも、
思わぬ贈り物へ嬉しさが過ぎて落ち着かない、
そんなブッダを愛でるような優しいお顔になっていて。

 「本当に嬉しいよ、ありがとうvv」
 「よかったぁ。」

どれが一番読みたかったの?と、すぐ傍らまで身を寄せてくるのへ、
一緒に眺められるよう、卓袱台へ置いてページを広げる。
このろうけつ染めの図案はね、随分と昔からあるもので、
動物が元なままなのが イスラム圏の影響を受けてない証拠でね。
こっちの更紗の柄は かつては職人が1つ1つ刺繍したものが元になっててと。
自分にも馴染みがあったからこそ関心をそそられた辺りを説明したり、
ちょっぴり懐かしい風景などへと頬が赤くなったり。
ああ何てこと、こんな贈り物はないよと、気持ちの昂揚がなかなか収まらぬ。
そんなブッダの心持ちをくすぐるように、

 “あ…。/////”

ふわりと香ったものがあり。
鮮烈だけれど 絹糸のような細い感触へ、あっと気づいて顔を上げれば、
すぐ傍ら、こちらの肩口に頬を寄せて、同じ紙面を覗き込むイエスがいる。

 “??”

いい匂いなの、でも…どういうタイミングで香るのかなぁ。
彼自身も気づいてはないものか、

 「? どうしたの?」

視線に気づいたか、お顔をこっちへ向けたものの、
雑誌から注意を逸らしたブッダへこそ、キョトンとしている彼であり。
特に何か、変わった様子も無さそうで。
本人も気づかないスイッチみたいなのが働くのかな?

 「どうかした?ブッダ。」
 「あ、いやあの…。」

言い抜けにくくて視線を降ろせば、
小さな姉妹が毛布にくるまって寝ている微笑ましい写真。
工房の職人さんの子供達らしく、
それを見て、

 「うん、あの…さ。
  最近、イエスってば、
  あんまりこっちの布団へもぐりこんで来ないなぁって。」

これを見て、そんなことをふと思っただけと、何とかぎりぎりで誤魔化した。
すると、え〜?とやや困ったように眉を下げたが、
彫の深いお顔は やはりほころんでいて、

 「まあ、何だ、寒かったからってお邪魔してたんだよね。」

さすがにもう寝苦しい季節だからねと続けたのへ、

 「あ〜、人を湯たんぽ扱いしてたな。」

自然な流れ、ひどいなぁと非難すれば、
後ろ頭へ手をやって、まとまりの悪い長髪をもしゃりとまさぐるイエスで。

 「だって、ブッダって柔らかいし、いい匂いするからさ。
  ぎゅうってして寝入ったら、いい夢が見られる気がしたんだな。」

 「え?/////」

な、何だよそれ、確信犯だったってこと?と、
笑って言ったので本気で腹を立ててはないというのも通じたのだろう、
ごめんてばと返したイエスも朗らかなもの。
とはいえ、

 “寝ぼけてたんじゃなかったのか、あれ。/////”

夜更かしの多いイエスだから、
てっきり…眠くて眠くてという寝オチのついで、
ぼんやりしていてやらかしてた うっかりだとばかり思ってた。
だから、それほど力も籠もってはおらずの“ぎゅう”であり、
何事だろかとうっすら起こされることもあったけれど、
気にも留まらぬ程度という浅い刺激だったので、
そのまま寝入り直していたブッダだったのだろう。

 「やあ ごめんね。////////」

いい大人が迷惑かけてたねなんて言って、
へろりと笑うお顔が、何とも屈託がないのだもの。
もうもうもうと言いつつも、怒ってみても始まらぬ。
そんなのそれこそ大人げないことだから、
最後の“もう”にて ぽそりと懐ろへ凭れかかり、
しょうがないなあと笑顔を返せば。
おおと眉を上げてから、よかったぁと破顔する、
そんなイエスの表情豊かなところへと、
可笑しくってと苦笑が止まない、ブッダだったりするのである。






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  *熱帯夜が本格的になりつつある中、
   あんまり鬱陶しくない いちゃこら目指して頑張ります。

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